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あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 - フジテレビの人気番組を動画配信!|フジテレビオンデマンド
http://fod.fujitv.co.jp/s/genre/anime/ser5146/


感想を書きたいですが、色々とオイラも昔のこととか思い出して、まだ心がモヤモヤして書けません。
このアニメはオイラにとって昔のトラウマを蘇らせてしまうような描写が多くて、大変見ていて辛くなり、最後には号泣してしまいました。


アニメと関係ない話をしますかね。
オイラには「実家」がありません。
実家というカテゴリがよくわからないんですけど
親が住んでいたら「実家」なるのかな?
それなら静岡県がオイラの実家になるんでしょう。
でも、その実家と呼ばれる場所にはオイラの部屋があるわけでも無いし
オイラも物や机があるわけでもないです。
親が一人で住んでいます。


昔、家族がみんなで過ごしていた「普通の実家」と呼ばれるには、もう別の誰かが住んでいます。
ですから、実家と呼ばれる場所がオイラには無いんです。


オイラはそういう「普通の実家」がある家庭が羨ましく思うことがあります。
家には、そこに住んでいた人の面影があり成長した跡が残ります。
たまに、友達の家に行った時とかに、よく柱とかに「成長の記録として身長を計って定規でひいた跡」があったりします。
家にはそういう、積み重なってできて、住んできた家族でしかわからないような
「人の生きた跡」があるとオイラは思います。


そう意味で、もう実家でない実家に誰か他の人が住んでいるのを見ると
何か心に突き刺さるものが感じられます。
外から見える実家には、見慣れない物置や、コパチ家では選ばないカーテンなどがかかってあり
「もう違うものなんだ」「あの場所にはもう自分たちが生きた跡が残っていない」そう考えてしまう部分があります。


で、ところ変わって福島原発のお話で言いますと
福島原発の事故の影響で実家を離れなければならない人がたくさんいらっしゃると思います。
オイラとかの東京人は元々、地方から出てきたからかもしれませんが
「実家を捨てて他の場所に住めば良いじゃん」と思われる方もいるかもしれません。
それも一つの考え方ですが、オイラは福島県を離れられない人がたくさんいらっしゃる気持ちも大変わかります。


上記にオイラが申し上げたとおり、「実家」という場所はそういう言葉では表せない特別な場所なんだと思います。
ですから、事故が起きても「実家にいつ帰れるんだろう?」という気持ちがずっと残っているのが当然なんだとも思います。
仮に政府が「西日本で新居を作るからそこに住んでくれ」と言われても
「新築がもらえたラッキー」とは感じることは大変難しいと考えます。
実家はその人が「成長してきた思い出を残しておきたい」物なんだと思います。


「帰るところがあるから、今頑張れる」だから実家が大事なんだと思います。
もう被災地の方々に「頑張って」なんて言葉は言えないです。被災地の方々はもう十分に頑張っていらっしゃる。
少しでも早い原発の収束、被災地の復興が行われることを祈っています。
「復興の狼煙」ポスタープロジェクト
http://fukkou-noroshi.jp/posters/index.shtml#iwate


そんなこんなで、今回の「あのはな」というアニメを見て
少し昔のことを思い出してとりとめもないことをツラツラと書きました。
ホントに文章が下手ですいません。