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犠牲になる命を選べるか

こんな番組がやっているんだ〜
NHKハーバード白熱教室
http://www.nhk.or.jp/harvard/lecture/100404.html

「哲学者「1人が死ねば5人が助かる、1人が生きると5人は死ぬ。正しい行いは?」」
という問題があったらしいけど
学生のほとんどは「大半の学生は5人を救うために1人を殺すことを選ぶ。」とのこと。

ハーバード大ってこんな人ばかりなの?と思った。

たぶんだけどアメリカって宗教的な部分での考え方が根底にあって
「普通は数的に多い方を選ぶ」けど
一概に「数的な部分での正しいとか悪とかは無い」ということを言いたい流れだと思う。

で、オイラがもしこの状況ならどうするかなあ?
その時にならなくてはわからないけど、ぶっちゃけ何もしないで突っ込むと思う(笑)。

ブレーキが効かない時点でもうだめじゃん。
ブレーキが効かないことで責任としては整備に問題があり、
「自分が助けよう」と下手に行動して
逆に6人全員が死んだら、一番の責任は自分になると思うので
無理に助けようと思わない方が良いと思う。

あと、運転士は職務(時間通りに運行すること)を行うことが「善」とすると思うので
犠牲を払ってまでも時間通りに運行することが大事だという考えが日本にはある。

もし、ここで数人助かってもダイヤが乱れて
その他大勢のお客様に対して迷惑がかかったら
それこそ命に関わると思うので
社会的な流れや構造としての最大限の
生産性を重視した数的な保護が最優先だと思うのですが…

もし、電車を利用するお医者さんがいたら
電車が止まることで、そのお医者さんが受け持った助かるはずの患者さんがたくさんいたら
それは生産性のある数的な部分を考えると社会的には損をすると思うので
そういう部分まで考えなくてはイケナイと思う。

ふと、思うんだけど「哲学」「倫理学」「経済学」「経営学」「政治学」とかのジャンルで分けてしまうと
あまりにも専門的な視点での理想論しか出てこないと思うんだ〜
これらを合わせた方向で「最大限の経済効率を重視した哲学に基づいた正解に近い答え」というものを出して行かないと
物事ってうまく進行しないと思う。

今の日本社会にも言えることで「政治家」に文句をいう人がいるけど
「そんなに文句をいうなら政治家になれば良いじゃん」と思うんだよね。
「良い曲がない」とか音楽とかにも文句を言うなら
少なくとも自分で音楽を作るなりして自分の理想の音楽を作れば良いじゃん。

そういう意味で、最近の日本は社会全体が他人に任せすぎだと思うんだなあ。
そんなこんなで今日のコラムでした。