JR福知山線脱線事故について考え
昨日はあいにくの天気だったので
家でゴロゴロとテレビを見ていた。
NHKの夕方に放映されていた「ホリデーにっぽん〜JR福知山線脱線事故〜」という番組が非常に考えさせられる内容だった。
当時、事故に合い生き残った被害者の女性が
生き抜く上での心の葛藤などが描かれており
精神障害を患いながら生きている現実を淡々と映したドキュメントだった。
「生き残っていて良かったね」
そんな安易な言葉は言えない。
「生き残った」という現実と
「死んだ人のためにどう生きていけば良いのか?」
彼女は考えているようだった。
彼女は当時美大生だったみたいで人物の絵を描いていたが
事故後の精神的な後遺症により人物の絵がかけなくなってしまった。
時間は無情にも過ぎていく中で
事故で生き残った自分と死んだ人達とは何が違ったのだろうか?
また、起きてしまった事故を家族はどのように受け入れていけば良いのだろうか?
非常に重い内容だが、このような突然の「死」は誰しも必ず合う。
逆に今まで死にたいして目を向けなさ過ぎではないか?とさえ思う。
コパチも10年前に母親を亡くし、結果的に鬱病に8年程かかっていた時期がある。
母親が死んだことに対しては不思議とショックはほとんど無い。
しかし、母親の死によって父親と弟が変わってしまった。
父親はオイラに対して依存的になり
何をするにも干渉して来て「これはやってはダメ」
「これはやっても良い」と口出しして来ていつも口論になっていた。
母親への愛情がオイラに移ってきたのだ。
弟はオイラの存在が母親を苦しめ病気にさせたと思っている。
そのためか弟とオイラは元々仲が悪かったのがさらに悪くなった。
人の死は生き残った人生を狂わせる。
生き残った人は死んだ人のためにどう生きるべきなのか?
考えさせられる番組であった。
PS.
この日記は携帯から打ち込んだものです。
文章が変だったらすいません。
<m(__)m>